ABOUT歴史を紐解く

郵便の
はじまり

1871

郵便事業のはじまり

明治維新から間もない1871年、新しい郵便制度の創設に中心的な役割を果たしたのが、「日本近代郵便の父」と呼ばれる前島密です。
前島密の発議をもとに、東京と京都・大阪間で官営の新式郵便がスタート。それまでの飛脚とは異なり、全国共通の仕組みで誰もが利用しやすい郵便制度を目指しました。郵便網は1872年に全国へ広がり、1873年には、距離にかかわらず同じ条件の郵便物を同一料金で送れる全国均一料金制が導入されました。

ゆうちょの
はじまり

1875

郵便為替・郵便貯金
(ゆうちょ)のはじまり

郵便が全国に広がった4年後、前島密は郵便貯金を創業しました。
世界に先駆けて近代郵便制度を実施していたイギリス滞在中に、同国の郵便局が郵便のほかに貯金や為替を取り扱い、国民の生活や国家の発展に大きな役割を果たしているのを見て、帰国後に日本でもこの制度を導入することにしたのです。
この「貯金」という新しい制度は、創業当時は貯蓄の風習が根付いておらず、なかなか一般に理解されなかったそうです。
そこで前島密は何を行ったのか? なんと自分のお金を出したのです。前島密は自らのお金を人々に渡し、そのお金を貯金発端金として貯金してもらうなど、貯蓄思想の普及には苦心しました。
なお、創業時は単に「貯金」と呼ばれていましたが、銀行のものとの混乱を避けるため、1887年に「郵便貯金」に改称されました。

初期の郵便貯金通帳
初期の郵便貯金通帳
(1875年)
かんぽの
はじまり

1916

簡易保険(かんぽ)のはじまり

大正時代の日本では、生命保険は富裕層のものでした。「万が一のとき、家族を守りたい」と願っても、複雑な手続きと高額な保険料が庶民の前に立ちはだかっていました。当時、郵便を管轄していた逓信省はそのしくみを根底から変えました。「簡易な手続きで、国民の基礎的生活手段を保障する」という使命のもと、簡易生命保険事業が創業されたのです。
医師の診断なしに入れる無診査、窓口で完結する手続き、そして低額な保険料。これがかんぽ生命の原点です。社会保険制度が整っていない時代において、簡易保険は「生活のセーフティネット」そのものでした。

簡易保険の第1号保険証書
簡易保険の第1号保険証書

1926

郵便年金のはじまり

「老後の生活をどう支えるか」。公的年金が十分に整備されていなかった時代、老後に備える仕組みが求められていました。
こうした中、1926年10月に逓信省が開始したのが郵便年金事業です。年金契約者が掛金を払い込み、国が年金受取人に年金を支払う仕組みで、全国に広がる郵便局を通じて取り扱われました。
郵便局は、手紙を届け、貯金や為替を扱うだけでなく、老後の暮らしに備える年金も取り扱うようになりました。人々の生活に寄り添いながら、その役割をさらに広げていったのです。

初期の郵便年金証書
初期の郵便年金証書

1949

郵政省発足

終戦後、日本の行政組織が大きく再編される中、郵政を担う組織も新たな時代を迎えます。1949年(昭和24年)6月1日、逓信省の業務は郵政事業と電気通信事業に分けられ、郵政省と電気通信省が発足。郵政省は、郵便・郵便貯金・簡易生命保険の三事業を所管することになりました。
同年には、お年玉付き郵便はがきも誕生し、戦後の庶民文化に温かな彩りを添えました。逓信省から郵政省へ。郵便・郵便貯金・簡易生命保険の三事業は、ここから郵政省の下で歩みを進めていくことになります。

お年玉くじつき年賀郵便のポスター(1949年)
お年玉くじつき年賀郵便の
ポスター(1949年)

1970年代

為替貯金事業の拡大

高度経済成長期の日本では、所得の向上とともに家計の貯蓄が増加し、郵便貯金の役割が大きくなりました。
1970年代には郵便貯金残高が急速に拡大し、日本全国の暮らしを支える基盤として定着していったのです。
なかでも定額貯金は、高金利時代資産を確実に増やす手段として高い人気を誇りました。
こうして、全国に広がる郵便局ネットワークは、都市部だけでなく離島や山間部にも金融サービスを届け、多くの人々の信頼を集めました。

保険年金事業の拡大

経済が豊かになるにつれ、人々の「リスクへの備え」意識も高まりました。1970年代、簡易保険(かんぽ)の保有契約件数は急増し、国民に最も身近な生命保険として広く普及していきました。簡易保険の強みは、何といっても「入りやすさ」。医師の診断不要、郵便局窓口で手続きが完結できるという手軽さが、保険を普及させる大きな役割を果たしました。また、ラジオ体操との連携に象徴されるように、「国民の健康増進」という福祉的な使命も担い続けました。1970年代末には簡保の運用資産が40兆円規模に達し、国内最大級の機関投資家としての存在感も増しました。また単なる保険事業にとどまらず、財政投融資を通じて道路・学校・住宅などのインフラ整備にも貢献しました。「保険料が国づくりに役立てられる」という実感が、加入者との信頼関係を深めました。

1998

新郵便番号制の導入

慣れ親しんでいる7桁の郵便番号。この形式が導入されたのは1998年のこと。従来の3桁・5桁の郵便番号は郵便区を表していましたが、新制度では市町村や特別区の町・字の区域まで表せるようになりました。配達物数の多い大口事業所には個別番号、一部の超高層ビルには階層を表す番号も設定されています。さらに、区分機が郵便番号とあて名を読み取り、住所全体を表すバーコードを郵便物に印字。その情報を利用し、郵便物を配達順に並べるところまで機械で処理できるようになりました。この改革は、単なる「桁数の変更」ではありません。郵便物の処理をアナログからデジタルへとつなぎ、テクノロジーの時代に対応する大きな一歩となりました。

2003

日本郵政公社発足

郵便創業以来、国が直接運営してきた郵政事業は、2003年4月1日、大きな転換点を迎えます。日本郵政公社の発足です。
公社化によって、予算などによる事前管理から、中期経営目標に基づく事後評価へと仕組みを変更。国営を維持しながら、企業会計原則や民間的経営手法が取り入れられました。
掲げられたキャッチフレーズは「真っ向サービス」。常にお客さまの立場に立ち、より良いサービスを提供する。公社化は、郵政事業の経営とサービスを改めて見つめ直す出発点となったのです。

日本郵政公社発足式(2003年4月1日)
日本
郵政グループの
はじまり

2007

日本郵政グループ発足

2007年10月1日、日本郵政株式会社を持株会社として、郵便事業株式会社、郵便局株式会社、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険の5社からなる「日本郵政グループ」が発足しました。130年以上にわたる国営の歴史に幕を下ろし、民間企業として新たな一歩を踏み出したのです。
分社化により、各社がそれぞれの事業を担い、経営の自由度を広げながら、新たなサービスに取り組む体制へ。一方で、全国の郵便局ネットワークを通じてサービスを提供する役割も引き継がれました。
2012年10月には、郵便事業会社と郵便局会社が統合して日本郵便株式会社となり、4社体制へ移行。国営から民営へと形を変えても、全国にサービスを届ける。その役割を受け継ぎながら、日本郵政グループは次の時代へ歩み始めたのです。

日本郵政グループ発足式(2007年10月1日)

2015

東証一部上場

2015年11月4日、日本郵政株式会社、株式会社ゆうちょ銀行、株式会社かんぽ生命保険の3社が、東京証券取引所市場第一部に同時上場。株式の売出総額は約1.4兆円に上り、3社の株式はいずれも売出価格を上回る初値を付けました。
上場を機に、日本郵政グループは、ガバナンスの高度化に取り組むとともに、持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を目指す方針を掲げました。政府以外の株主を迎え、株式市場を通じた経営規律の下で、透明性の確保にも取り組むことになります。
明治4年に始まった郵政事業は、140年以上の歴史を経て株式市場へ。3社同時上場は、2007年の民営化から続く歩みの集大成であり、日本郵政グループが上場企業として新たな一歩を踏み出す節目となったのです。

日本郵政グループ3社の株式の上場
(2015年11月4日)

現在

日本郵政グループの目指す姿「JPプラン2028」

日本郵政グループは、全国に広がる郵便局ネットワークをはじめとするグループの基盤を活かし、お客さま、地域、企業・自治体など多様なパートナーとともに、新たな価値を生み出す「お客さまと地域を支える共創プラットフォーム」を目指しています。
「JPプラン2028」では、この共創プラットフォームをさらに深化させていきます。地域の暮らしに欠かせないサービスを支える「生活サポートプラットフォーム」、郵便局ネットワークやゆうちょ通帳アプリを通じて幅広い金融サービスを届ける「総合金融プラットフォーム」、荷物を中心とした物流ネットワークへの転換と、国内・国際物流を一体で提供する「総合物流プラットフォーム」。この三つの機能を軸に、地域や社会の変化、多様化するお客さまのニーズに応えていきます。
さらに、不動産事業やグループ横断のサービスを組み合わせることで、日本郵政グループならではの魅力と価値を高めていきます。長年にわたり人々の暮らしや地域に寄り添ってきた私たちは、これからも多様な人や企業、地域とつながりながら、より豊かで持続可能な社会づくりに貢献していきます。