地域基幹職・エリア基幹職・一般職の先輩のキャリア
集配営業部
2016年入社
山本 琴梨
理想の郵便配達員はまだまだ先。
今は業務の効率を高め余裕をつくることが目標。
EPISODE 01 笑顔に出会えてアクティブに動き回れる そんな仕事を求めて
人と接し笑顔を見ることができる接客に興味があった。
その中から郵便配達の仕事を選んだのは、幼いころ、お正月に年賀状とともに待ちわびた配達員への憧れの記憶があったから。
好きになったら一直線。
歴史と資格取得に挑んだ学生時代
山本は学生時代、日本文学を専攻し中世文学のゼミに所属していた。サークルは歴史文化研究会に所属。歴史の大好きな女子であったという。
「好きになったのは、中学2年生の時。歴史を上手に教えてくれる面白い先生がいたんです。それですぐに好きになってしまって」。
好きな時代は幕末だ。これは両親が2人とも坂本龍馬のファンだったから。家には本や漫画がたくさんあり、小さいころからそれを読んでいたという。
物事に関心を持つきっかけは、その世界へと導いてくれる人とのフィーリングがかなり影響するとのこと。
「大学2年生の時、大学で実施する講座に参加して宅建(宅地建物取引士)の資格取得を目指しました。その時も、どうしても宅建の資格が取りたかったのではなくて、説明会で講座を担当している先生の話が面白かったから」。
そんなきっかけで取り組むことになった宅建取得だったが、授業後や休日に行われる講座に熱心に通った。初の受験となった大学2年時こそわずか2点足りず不合格となったが、3年時に再挑戦し見事合格。入り込んだら、そこに情熱を注ぎ込む。そんな一面がうかがえた。
接客がしたいという思いと、
幼いころの郵便配達員への憧れが将来へのコネクト
就職活動期を迎えた山本が、職業として最初にイメージしたのは接客業だった。
「人の笑顔を見ることが好きだったからです。また、オフィスの中で座って行う仕事は向いていないのではないかなというのもありました。学生時代のアルバイト経験を通じて自分はじっとしているのが苦手だと気付いたので」。
小売、配達、不動産など業界は幅広く検討した。そんな時に候補に浮上してきたのが日本郵便だった。幼いころ郵便配達員に抱いた憧れを思い出したのだ。
「小学校低学年の時でしょうか。私、年賀状が届くのをすごく楽しみにしていたんですよ。年賀状って送る人の一人ひとりの個性が表れていますよね。それを読むのがすごく好きで、いつも待ち遠しく思っていました。最近は前ほどやりとりが減ってしまったのですが、それはすごく残念に思っていて……」。
届けられた毎年の年賀状は、全部ファイリングして取ってある。そのくらい年賀状は大切なものだった。配達員の姿を心待ちにしていた日々。その記憶が将来のイメージと結びついた。
「それ以外にも、説明会で出会った社員の方々の人柄や人当たり、そういうものがしっくりきたというのもありました」。
やっぱり、山本の基準は“人”であるようだ。
EPISODE 02 郵便配達の厳しさを実感。 「血の気が引く思い」もしながら積んだ経験
「飛び込んでみた郵便配達の仕事だったが、最初は本当に苦労した」と山本は話す。バイクの運転、重い荷物、時間に追われミスも許されない。右も左も分からない中で格闘した。
「最初は苦労した」郵便配達の
厳しさを実感した1年目
バイクに乗ったことがあるわけではなく、力仕事も未経験だ。やはり最初は苦労した。
「バイクの免許は大学を卒業する直前に取りました。小型のATだったので、確か1週間くらいで取れたと思います。でも、いざ仕事をするとなるとやっぱり大変でした。バイクに乗るだけでも不安なのに、そこに郵便物などが載る。日によってはかなり重い時もありましたから。雨が降ると時間的には2倍くらいかかってしまうし……」。
カタログなどの配達が集中する日は、バイクに積むだけでもひと苦労。バイクを倒し、先輩に助けてもらったこともある。さらには、その状態で走らなければならないのだ。
その一方で、配達員のもうひとつの仕事である年賀はがきなどの郵便商品の営業については、そもそもの志望が接客であっただけに、スムーズに取り組めたという。ただ、結果を残すのは簡単ではない。
「まずは担当エリアのお客さまと仲良くなりたいと考え、オフィスなどお客さまと対面する機会のある場合はきちんと挨拶することを心がけました。商店街のような別の場所でお会いすることもあったので、その時には積極的に『お元気ですか?』と声をかけていました。それでも結果が出るようになるまでは難しかったです。上司や先輩に営業のノウハウを聞いて回っていました」。
日ごろから丁寧に配達業務を行い、機会があれば明るく声をかけて関係性をつくっていく。営業に近道はなく、これを続けることが大事だと考えるに至った。
右手と左手を逆に投かん─
忘れられないミスを乗り越えて
配達は神経を研ぎ澄まさねばならない仕事だと痛感させられる失敗もあった。ある日、マンションでの配達中、次に配達する郵便物を右手に、そのあとに配達する郵便物の束を左手に持って移動していた。ポストに郵便物を入れようとしたその瞬間─集中が途切れた。左右の手の郵便物が、たまたま同じくらいの厚さになっていたこともあった。次の配達への準備のために持っていた左手の郵便物の束を、先に配達する部屋のポストに入れてしまったのだ。「血の気が引いた」と山本は言う。
そのような場合は、お客さまへ誤って投かんしたことをお伝えして郵便物を回収する。
「でも、当日その部屋の方は不在だったんです。それで、メモ書きを残して状況をお伝えしようと思ったのですが、あわてていたんでしょうね。今度はそのメモに電話番号を書き残すのを忘れてしまったんです。班長に伝えると『本来、お客さまに電話をさせるのも良いことではない。お戻りになられる時間に、足を運んで直接お会いするのがこの場合は正しい』と教えていただきました」。
幸い、すぐに連絡がとれて回収できたということだが、配達の緊張感が伝わってくるエピソードである。
EPISODE 03 焦らず、腐らず。 よく考え、周囲に学ぶ姿勢で前年度超えに成功
周囲に目を向けて、自分に欠けているものを見つけ出す。 仕事に慣れていった山本は、自分と先輩たちの仕事の何が違うのかを研究。すると、結果が出始めた。
どうやったらうまくいくのか?
研究を重ね、状況を変えていった
当初は苦労も多かった配達員としての日々。だが、山本には改善していこうとする強い研究心があった。
「郵便物を整理する作業であったり、カバンに積む作業であったり、そういう作業を早く済ませている人のやり方をよく見て真似しました」。
また、体力的な負荷を少しでも和らげようと、生活にも工夫を施した。
「帰宅したら少し仮眠をとることにしたんです。そのあとに食事をとったり、家事などをするようにしたところ、疲れをためずに仕事に取り組めるようになってきました」。
何よりも頭を捻ったのは営業活動だ。1年目は夏のかもめ〜る、冬の年賀はがき、どちらの販売でも思った通りにはいかなかった。2年目を迎え、事前に声かけを行っていくスケジュールから見直した。
「夏に使うかもめ〜るですが、かなり早めの5月くらいからご紹介していきました。最初は簡単なアピール。それが終わったら今度は少し提案を交えながら、ご紹介していくという形をとりました。『お取引先に送ってみてはどうでしょうか? 喜ばれますよ』といった具合ですね」。
この改善策は見事に効果を生み、前年の販売枚数を超えることに成功。成果を上げていく喜びを強く実感することとなった。
※2021 年度以降は、『夏のおたより郵便葉書(かもめ~る)』に替わり『あいさつ文入り夏の絵入りはがき』を発行しています。
「これからも続けていきたい」
芽生えてきた郵便配達員としての誇り
幼いころの自分が待ち遠しく思っていた配達員。現在、自身がその役割を担っていることを感慨深く感じることもある。
「理想の配達員になるには、まだまだですね。今まで経験したことのない業務もできるようにならないといけないし、配達を担当できるエリアもさらに広げたい。同世代の社員が仕事の幅を広げていく姿を見て焦る時もあります」。
そのために、今の自分に必要なものは分かっている。
「余裕です。余裕ができれば、新しい仕事について上司や先輩に尋ねたり、観察したりして勉強する時間ができますから。そのためには、これまで以上に効率の良い作業を心がけていくことだと思っています」。
山本は今日も考える。どうしたら、もっと早く、正確に、仕事ができるようになるのかを。
「最近は女性の後輩ができたので、できる限り彼女をサポートしたいと思っています。配達に一緒に行くことはできないけれど、局では積極的に声をかけています」。
配達の仕事に四苦八苦した1年目は、内務の仕事への転換を意識することもあったという。だが今は「郵便配達をやり続けたい」と自信を持って言える。
「たくさんのお客さまと直に触れ合って、感謝の言葉をいただけるのがやはり配達の仕事の醍醐味ですね」。
そう言って山本は笑った。
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